手塚治虫が亡くなったのは、昭和が終わって一か月と二日後、平成元年の2月9日だった。
生きているあいだは生年を2歳上に言っており(本来は昭和3年生まれだが大正15年生まれだと自称していた)、62歳で亡くなったとおもわれていたが、実は60歳での逝去であった。
いま聞くと、60というのはすごく若い。60代に入って三か月と少ししか経っていなかった。
先だって亡くなった鳥山明は、享年68。
68とは若い、とおもったのは、ここ35年の世相の動きによるものだろうか。
逆に言えば、手塚治虫の亡くなった年齢が鳥山明より8年若かったというのも、あらためて驚きである。
手塚治虫が亡くなった当時、62での逝去(そのときはそう報じられた)について、あまり、若くして亡くなった、という報道がなかったようにおもう。
たぶん戦争体験世代が人口のどれぐらいいるのかによって、反応が変わる事項なのだろう。
手塚治虫の代表作は、と聞けば、いまの日本だと『ブラックジャック』と答える人がもっとも多そうである。
亡くなって36年、晩年の作品が代表作だと認識されるのはしかたがないことなのだろう。
でも、昭和中期から、つまり手塚治虫の活動の中期からリアルタイムで作品を読んでいるものとして、手塚治虫の代表作が『ブラックジャック』だと言われるのはきわめて強く違和感を覚える。
世代の問題なのはわかるが、手塚の代表作が『ブラックジャック』だという発言を初めて聞いたときは驚愕した。何かの聞き間違いだとおもったくらいだ。
「ぜったいに違う」と叫びたい
もちろん『ブラックジャック』は連載時に読んでいる。単行本も買って読んでいた。とてもおもしろいとおもう。素晴らしい作品だ。
でも、これが手塚治虫の最高作とは、ちょっとおもえない。しかたない。生きている時代が違うというのは、そういうことなのだろう。
大学の漫画研究会の少し上の人で、のちに小学館に入り編集者となった先輩(手塚治虫の担当もやっていた)とその話をしたとき、やはり「え、代表作はブラックジャックじゃないだろう」と言下に否定した。そりゃそうだ。
われわれ、1960年代前半から漫画を読み出している世代にとって、手塚治虫はリアルタイムに新作を発表しつづけるベテランであり、彼のあの猛烈なエネルギーを感じながら生きていた世代として、彼の世界をブラックジャックで代表させるのは、ぜったいに違う、と叫びだしたくなるレベルの認識の差となる。
手塚治虫の代表作は何か、というと、たしかにちょっと難しい。
活動時期が長すぎて、しぼりきれなくなってしまう。なにせ全集が400冊なのだ。
私は『火の鳥』である。
「COM」時代の『火の鳥』だ。
なかでも絞るなら、「未来編」と「鳳凰編」となるが、黎明編―未来編―ヤマト編―宇宙編―鳳凰編―復活編―羽衣編―望郷編―乱世編とつづくこの一連の作品をもって、手塚治虫の代表作だとおもっている。
手塚治虫には「人気漫画家」としては浮き沈みがあった。
手塚治虫が知られたのは昭和21年(1946)の『新宝島』である。
手塚のこの作品について書かれたものだけで多数にわたり、当時の衝撃が知れる。
ここからいまに続く日本の漫画文化が始まった。つまり世界の漫画の原点と言ってもいい作品である。
本来なら、本作を手塚治虫の代表作とするべきだろう。
しかし、この作品があまりにも画期的すぎて、ここで示された可能性をあらゆる人が引っ張り出して拡張していまの漫画世界を作り上げたので、いま読むと、何が画期的なのかがわかりにくい。
前提としているものがあまりにも違いすぎて、知識なしにただ読むだけではこの作品の革新性にはなかなか気づかない。
それにつづく時代、いわばこの分野の日本の漫画をひとりで担っていた昭和20年代の前半は手塚の第一次の全盛期である。
続きはリンク先
https://news.yahoo.co.jp/articles/6732bec1af287c5dc7c979a14906878af6a773c1?page=1
前スレ
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1711525092/
結局あれなんだったんだ
今から読んでも面白い?
どれから読めばいいの?
この前ブラックジャックを初めて読んだら印象深い話が多くて今読んでも楽しめた
義手になった体操選手の少年の話や鳥になった女性の話とか初期のエピソードだけでも読み応えある
何だっていいよw
スレ伸びるな
面白かったわ
世の大半の人間が選ぶ代表作がブラックジャックなのは当然
そこから興味持ってアドルフとかブッダとかも面白いじゃんになる
それなんだよな
全編通して完成度が高い
長編だと来るべき世界が読み応えある
鉄面皮ポポーニャ父の最後は特に
大河的だよな
アトムやリボンの騎士、ジャングル大帝はつまらん
火の山
鳳凰
陽だまり
が完成度高いと思う
今まで亡くなった人で一番ショックだったかも
当時の訃報のニュース全て録画してる
これ超貴重なデータじゃない?
あなたが死ぬ前にアップロードしておきなさい
(ブッダより)
アドルフに告ぐ、陽だまりの樹、シュマリ、ブラックジャックがそれに続く感じ
作品は凡庸
異論は認める
それ手塚にいったらキレるんじゃね
BJor三つ目orどろろ→単なる懐古厨
火の鳥と言うやつ→ニワカの知ったか典型
アドルフと言うやつ→厨ニ病全開
ブッダと言う奴→読んだ事も無いくせに言ってるだけ
その他短編を言う奴→総じてゴミ、社会性無しの承認欲求の塊
ブラックジャックはどうなんよ
歴史的事実のところとフィクションのところの落差が激しくてな
もっと両者をシームレスに繋げてればよかったのだが
ブッダもそう
自分だけが正しいと思ってる知的障害者。
少なくとも絵のクオリティの絶頂期は1950年代
60年代に入ると早くも劣化する
(劣化と言うか、やはり忙しすぎたのだろう)
他の三部作は大人になった今も読めるけど
メトロポリスは毒がなくて物足りないな
ロストワールドのブタモマケルの異常性こそ手塚の真骨頂だと思ってる
ブラックジャックは評価されなかったろうと思う
実際、医専って叩きたがる連中は今も評価しないし
火の鳥好き
俄かよ
毎回のページ数見てみ。今のマンガ家の誰があんな連載できるのよw?
最高傑作という概念とは違うかもしれんが、匠の技の極地。
たいてい1番名前挙がるの火の鳥じゃね
これがわからんやつは外国人
(´・ω・`)小中の図書室には大体ブラックジャックとはだしのゲンがあったからなぁ
(´・ω・`)ブラックジャックは医者ものだし、1話完結が多いから読みやすくていいよね
手塚治虫が亡くなったのは、昭和が終わって一か月と二日後、平成元年の2月9日だった。
生きているあいだは生年を2歳上に言っており(本来は昭和3年生まれだが大正15年生まれだと自称していた)、62歳で亡くなったとおもわれていたが、実は60歳での逝去であった。
いま聞くと、60というのはすごく若い。60代に入って三か月と少ししか経っていなかった。
先だって亡くなった鳥山明は、享年68。
68とは若い、とおもったのは、ここ35年の世相の動きによるものだろうか。
逆に言えば、手塚治虫の亡くなった年齢が鳥山明より8年若かったというのも、あらためて驚きである。
手塚治虫が亡くなった当時、62での逝去(そのときはそう報じられた)について、あまり、若くして亡くなった、という報道がなかったようにおもう。
たぶん戦争体験世代が人口のどれぐらいいるのかによって、反応が変わる事項なのだろう。
手塚治虫の代表作は、と聞けば、いまの日本だと『ブラックジャック』と答える人がもっとも多そうである。
亡くなって36年、晩年の作品が代表作だと認識されるのはしかたがないことなのだろう。
でも、昭和中期から、つまり手塚治虫の活動の中期からリアルタイムで作品を読んでいるものとして、手塚治虫の代表作が『ブラックジャック』だと言われるのはきわめて強く違和感を覚える。
世代の問題なのはわかるが、手塚の代表作が『ブラックジャック』だという発言を初めて聞いたときは驚愕した。何かの聞き間違いだとおもったくらいだ。
「ぜったいに違う」と叫びたい
もちろん『ブラックジャック』は連載時に読んでいる。単行本も買って読んでいた。とてもおもしろいとおもう。素晴らしい作品だ。
でも、これが手塚治虫の最高作とは、ちょっとおもえない。しかたない。生きている時代が違うというのは、そういうことなのだろう。
大学の漫画研究会の少し上の人で、のちに小学館に入り編集者となった先輩(手塚治虫の担当もやっていた)とその話をしたとき、やはり「え、代表作はブラックジャックじゃないだろう」と言下に否定した。そりゃそうだ。
われわれ、1960年代前半から漫画を読み出している世代にとって、手塚治虫はリアルタイムに新作を発表しつづけるベテランであり、彼のあの猛烈なエネルギーを感じながら生きていた世代として、彼の世界をブラックジャックで代表させるのは、ぜったいに違う、と叫びだしたくなるレベルの認識の差となる。
手塚治虫の代表作は何か、というと、たしかにちょっと難しい。
活動時期が長すぎて、しぼりきれなくなってしまう。なにせ全集が400冊なのだ。
私は『火の鳥』である。
「COM」時代の『火の鳥』だ。
なかでも絞るなら、「未来編」と「鳳凰編」となるが、黎明編―未来編―ヤマト編―宇宙編―鳳凰編―復活編―羽衣編―望郷編―乱世編とつづくこの一連の作品をもって、手塚治虫の代表作だとおもっている。
手塚治虫には「人気漫画家」としては浮き沈みがあった。
手塚治虫が知られたのは昭和21年(1946)の『新宝島』である。
手塚のこの作品について書かれたものだけで多数にわたり、当時の衝撃が知れる。
ここからいまに続く日本の漫画文化が始まった。つまり世界の漫画の原点と言ってもいい作品である。
本来なら、本作を手塚治虫の代表作とするべきだろう。
しかし、この作品があまりにも画期的すぎて、ここで示された可能性をあらゆる人が引っ張り出して拡張していまの漫画世界を作り上げたので、いま読むと、何が画期的なのかがわかりにくい。
前提としているものがあまりにも違いすぎて、知識なしにただ読むだけではこの作品の革新性にはなかなか気づかない。
それにつづく時代、いわばこの分野の日本の漫画をひとりで担っていた昭和20年代の前半は手塚の第一次の全盛期である。
続きはリンク先
https://news.yahoo.co.jp/articles/6732bec1af287c5dc7c979a14906878af6a773c1?page=1
前スレ
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1711525092/
手塚治虫が亡くなったのは、昭和が終わって一か月と二日後、平成元年の2月9日だった。
生きているあいだは生年を2歳上に言っており(本来は昭和3年生まれだが大正15年生まれだと自称していた)、62歳で亡くなったとおもわれていたが、実は60歳での逝去であった。
いま聞くと、60というのはすごく若い。60代に入って三か月と少ししか経っていなかった。
先だって亡くなった鳥山明は、享年68。
68とは若い、とおもったのは、ここ35年の世相の動きによるものだろうか。
逆に言えば、手塚治虫の亡くなった年齢が鳥山明より8年若かったというのも、あらためて驚きである。
手塚治虫が亡くなった当時、62での逝去(そのときはそう報じられた)について、あまり、若くして亡くなった、という報道がなかったようにおもう。
たぶん戦争体験世代が人口のどれぐらいいるのかによって、反応が変わる事項なのだろう。
手塚治虫の代表作は、と聞けば、いまの日本だと『ブラックジャック』と答える人がもっとも多そうである。
亡くなって36年、晩年の作品が代表作だと認識されるのはしかたがないことなのだろう。
でも、昭和中期から、つまり手塚治虫の活動の中期からリアルタイムで作品を読んでいるものとして、手塚治虫の代表作が『ブラックジャック』だと言われるのはきわめて強く違和感を覚える。
世代の問題なのはわかるが、手塚の代表作が『ブラックジャック』だという発言を初めて聞いたときは驚愕した。何かの聞き間違いだとおもったくらいだ。
「ぜったいに違う」と叫びたい
もちろん『ブラックジャック』は連載時に読んでいる。単行本も買って読んでいた。とてもおもしろいとおもう。素晴らしい作品だ。
でも、これが手塚治虫の最高作とは、ちょっとおもえない。しかたない。生きている時代が違うというのは、そういうことなのだろう。
大学の漫画研究会の少し上の人で、のちに小学館に入り編集者となった先輩(手塚治虫の担当もやっていた)とその話をしたとき、やはり「え、代表作はブラックジャックじゃないだろう」と言下に否定した。そりゃそうだ。
われわれ、1960年代前半から漫画を読み出している世代にとって、手塚治虫はリアルタイムに新作を発表しつづけるベテランであり、彼のあの猛烈なエネルギーを感じながら生きていた世代として、彼の世界をブラックジャックで代表させるのは、ぜったいに違う、と叫びだしたくなるレベルの認識の差となる。
手塚治虫の代表作は何か、というと、たしかにちょっと難しい。
活動時期が長すぎて、しぼりきれなくなってしまう。なにせ全集が400冊なのだ。
私は『火の鳥』である。
「COM」時代の『火の鳥』だ。
なかでも絞るなら、「未来編」と「鳳凰編」となるが、黎明編―未来編―ヤマト編―宇宙編―鳳凰編―復活編―羽衣編―望郷編―乱世編とつづくこの一連の作品をもって、手塚治虫の代表作だとおもっている。
手塚治虫には「人気漫画家」としては浮き沈みがあった。
手塚治虫が知られたのは昭和21年(1946)の『新宝島』である。
手塚のこの作品について書かれたものだけで多数にわたり、当時の衝撃が知れる。
ここからいまに続く日本の漫画文化が始まった。つまり世界の漫画の原点と言ってもいい作品である。
本来なら、本作を手塚治虫の代表作とするべきだろう。
しかし、この作品があまりにも画期的すぎて、ここで示された可能性をあらゆる人が引っ張り出して拡張していまの漫画世界を作り上げたので、いま読むと、何が画期的なのかがわかりにくい。
前提としているものがあまりにも違いすぎて、知識なしにただ読むだけではこの作品の革新性にはなかなか気づかない。
それにつづく時代、いわばこの分野の日本の漫画をひとりで担っていた昭和20年代の前半は手塚の第一次の全盛期である。
続きはリンク先
https://news.yahoo.co.jp/articles/6732bec1af287c5dc7c979a14906878af6a773c1?page=1
前スレ
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1711525092/
結局あれなんだったんだ
結局あれなんだったんだ
今から読んでも面白い?
どれから読めばいいの?
今から読んでも面白い?
どれから読めばいいの?
この前ブラックジャックを初めて読んだら印象深い話が多くて今読んでも楽しめた
義手になった体操選手の少年の話や鳥になった女性の話とか初期のエピソードだけでも読み応えある
この前ブラックジャックを初めて読んだら印象深い話が多くて今読んでも楽しめた
義手になった体操選手の少年の話や鳥になった女性の話とか初期のエピソードだけでも読み応えある
何だっていいよw
何だっていいよw
スレ伸びるな
スレ伸びるな
面白かったわ
面白かったわ
世の大半の人間が選ぶ代表作がブラックジャックなのは当然
そこから興味持ってアドルフとかブッダとかも面白いじゃんになる
世の大半の人間が選ぶ代表作がブラックジャックなのは当然
そこから興味持ってアドルフとかブッダとかも面白いじゃんになる
それなんだよな
全編通して完成度が高い
長編だと来るべき世界が読み応えある
鉄面皮ポポーニャ父の最後は特に
大河的だよな
それなんだよな
全編通して完成度が高い
長編だと来るべき世界が読み応えある
鉄面皮ポポーニャ父の最後は特に
大河的だよな
アトムやリボンの騎士、ジャングル大帝はつまらん
アトムやリボンの騎士、ジャングル大帝はつまらん
火の山
鳳凰
陽だまり
が完成度高いと思う
火の山
鳳凰
陽だまり
が完成度高いと思う
今まで亡くなった人で一番ショックだったかも
当時の訃報のニュース全て録画してる
これ超貴重なデータじゃない?
今まで亡くなった人で一番ショックだったかも
当時の訃報のニュース全て録画してる
これ超貴重なデータじゃない?
あなたが死ぬ前にアップロードしておきなさい
(ブッダより)
あなたが死ぬ前にアップロードしておきなさい
(ブッダより)
アドルフに告ぐ、陽だまりの樹、シュマリ、ブラックジャックがそれに続く感じ
アドルフに告ぐ、陽だまりの樹、シュマリ、ブラックジャックがそれに続く感じ
作品は凡庸
作品は凡庸
異論は認める
異論は認める
それ手塚にいったらキレるんじゃね
それ手塚にいったらキレるんじゃね
BJor三つ目orどろろ→単なる懐古厨
火の鳥と言うやつ→ニワカの知ったか典型
アドルフと言うやつ→厨ニ病全開
ブッダと言う奴→読んだ事も無いくせに言ってるだけ
その他短編を言う奴→総じてゴミ、社会性無しの承認欲求の塊
BJor三つ目orどろろ→単なる懐古厨
火の鳥と言うやつ→ニワカの知ったか典型
アドルフと言うやつ→厨ニ病全開
ブッダと言う奴→読んだ事も無いくせに言ってるだけ
その他短編を言う奴→総じてゴミ、社会性無しの承認欲求の塊
ブラックジャックはどうなんよ
ブラックジャックはどうなんよ
歴史的事実のところとフィクションのところの落差が激しくてな
もっと両者をシームレスに繋げてればよかったのだが
ブッダもそう
歴史的事実のところとフィクションのところの落差が激しくてな
もっと両者をシームレスに繋げてればよかったのだが
ブッダもそう
自分だけが正しいと思ってる知的障害者。
自分だけが正しいと思ってる知的障害者。
少なくとも絵のクオリティの絶頂期は1950年代
60年代に入ると早くも劣化する
(劣化と言うか、やはり忙しすぎたのだろう)
少なくとも絵のクオリティの絶頂期は1950年代
60年代に入ると早くも劣化する
(劣化と言うか、やはり忙しすぎたのだろう)
他の三部作は大人になった今も読めるけど
メトロポリスは毒がなくて物足りないな
ロストワールドのブタモマケルの異常性こそ手塚の真骨頂だと思ってる
他の三部作は大人になった今も読めるけど
メトロポリスは毒がなくて物足りないな
ロストワールドのブタモマケルの異常性こそ手塚の真骨頂だと思ってる
ブラックジャックは評価されなかったろうと思う
実際、医専って叩きたがる連中は今も評価しないし
ブラックジャックは評価されなかったろうと思う
実際、医専って叩きたがる連中は今も評価しないし
火の鳥好き
火の鳥好き
俄かよ
俄かよ
毎回のページ数見てみ。今のマンガ家の誰があんな連載できるのよw?
最高傑作という概念とは違うかもしれんが、匠の技の極地。
毎回のページ数見てみ。今のマンガ家の誰があんな連載できるのよw?
最高傑作という概念とは違うかもしれんが、匠の技の極地。
ブラックジャックは違うのはその通り
たいてい1番名前挙がるの火の鳥じゃね
たいてい1番名前挙がるの火の鳥じゃね
これがわからんやつは外国人
これがわからんやつは外国人